2008.07.26
読売オンラインの記事です。
「高齢化が進む中、国民が自分の最期について考え、死を準備するきっかけを持つことは大切。その方法を社会で考えていかなければなりません」
「死」をタブーとせず、日頃から家族全員で話し合っておくことが大切です。
人間、生きている間に考えるべき事は無数にあります。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/medi/renai/20080717-OYT8T00202.htm
望む最期 家族と考える
「みんなが本音で話しあいました」と語る菱田さん(右から3人目)と家族たち 東京都大田区の鈴木内科医院で在宅医療に取り組む鈴木央(ひろし)さん(46)は、今年5月、区内の白城節子さん(当時93歳)を看取(みと)った。
節子さんはマンションで一人暮らし。心不全や高血圧などに加え、5年前からは、自分の老いをうまく受け入れられず老人性うつ病を患っていた。
今年1月、激しい下痢や嘔吐(おうと)で救急病院に9日間入院。退院後は、区内の有料老人ホームに移ったが、数週間が過ぎると、節子さんの気持ちは揺れた。
「ここで死ぬのは嫌」「家に帰りたい」
近くに住む長女の菱田靖江さん(68)らに、そう訴えた。
家に戻っても、トイレに立った際に転倒し、そのまま動けなくなってしまわないか不安だ。子どもたちに迷惑はかけたくない――。あれこれと迷いながら、節子さんは最期をどこで迎えるべきかを考え続けた。
翌月、家政婦を雇って自宅に戻り、鈴木さんが週3回往診した。節子さんが不安から過呼吸になると、深夜でも駆けつけた。
3月の誕生日を無事に迎えられたことが自信になり、節子さんの表情に明るさが戻った。ちらしずしをつくって孫やひ孫にごちそうしたり、娘たちと連れ立って外食にも出かけた。
「お母さんが本当に望んでいることは何」
菱田さんは何度か節子さんに問いかけた。やがて節子さんは、きっぱりと言った。「私はここで最期を迎えたい。先生、よろしくお願いします」
無理な延命治療は避け、自宅で穏やかに最期を迎えることが節子さんや家族の了解事項になっていった。
5月。鈴木さんが往診した直後、節子さんは「疲れた。横になりたい」と言ってベッドに入り、約2時間後に家政婦が部屋をのぞいた時は呼吸が止まっていた。急変だったが、家族には「母の思いをかなえてあげることができた」という安堵(あんど)感があった。
「悩み、試行錯誤した過程があったからこそ、母は家で過ごす素晴らしさを実感できた。私たちも母とじっくり話しあい、全力で支えることができました」と菱田さんは振り返る。
先月、後期高齢者医療制度の柱のひとつで、最期に人工呼吸器を付けるかなどの対応を患者と医師の間で文書に残す「終末期相談支援料」制度が凍結された。高齢を理由に治療が打ち切られるのではとの懸念から、大きな反発を招いたためだった。
だが、鈴木さんはこんなふうに話す。「高齢化が進む中、国民が自分の最期について考え、死を準備するきっかけを持つことは大切。その方法を社会で考えていかなければなりません」
(2008年7月17日 読売新聞)